【 大江戸史跡散歩 】
H15.10.29


今、トーキョーでは 江戸開府400年記念ということで<大浅草まつり>が催されている。

そのなかの一つ 『大江戸史跡散歩』〜池波正太郎の風景 に参加してみた。

10月中の土日しかないということで、
10/18,10/25の2日間のわたって一人で歩いてみた。

わたしは、一人でテクテク歩くのが好きだ。
気の向くまま、時間を気にせず、新しい発見ばかりである。

詳しい今の風景は、後日報告するとして・・・。
今回は歩いた<証拠>の立て看板をお見せする。

看板の揮毫は、「橘右之吉」師匠の 江戸文字である。


1

浅草寺西側一体は通称「奥山」と親しまれ、
江戸時代から大道芸や見世物小屋が並び
浅草発祥の地であったそうな。

2

へ〜〜、こんなところがみんな
田圃だったんだ。

3
池波ファンがいっぱいだった。
確かに、鬼平犯科帳は面白い。
4
へ〜〜、こんなところにも
「富士信仰」があったんだ。
5

待乳山聖天のまえ
現在は、靴屋さんの家だった。
2-11番地。

6

今戸神社。

橘右近書の
「沖田総宗終焉の地」もあった。

今戸焼きもある。

7
カッポレ初代「櫻川ピン助」も
眠っている 。
8

あの山谷地区の近く。

それなりの人にカラマれた。

9

アサジガハラと読む。

浅草の地名の起こりだそうな

10

橋場不動尊。

寄席文字仲間
tutida3の住んでいるところ。

11

オウマヤの渡しと読む。

厩橋近く。

浅草御蔵があったところ。

12

へ〜〜、ここは新堀川だったんだ。

だから菊屋橋、合羽橋。納得!。

13

やっぱり、安倍川から移住してきたのね。



ボランティア説明員の「倉嶋さん」と
5年ぶりにバッタリ。

なんという奇遇 。
これには、驚いた 。うれしかった。

14
こんな広い場所があったんだ。
15

有名な浅草寺縁起知ってますか?。

16

隅田川のことを「大川」といった。

大川橋 ⇒ 東橋 ⇒ 吾妻橋

なんだよね。

スクロールお疲れ様でした。右手疲れたでしょ?

詳しい報告は、後日、ゴジツ   kuma3

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