【  お練り祭りを控えた大宮諏訪神社の初詣客  】

〜熊さん!クマさん!ドットコムの主宰者kuma3の生れ故郷:.飯田市の新年〜
H15.1.2


【外県(そとあがた)大宮諏訪神社

諏訪神社の祭神は、建御名方命(たてみなかたのみこと)と妃の八坂刀売命(やさかとのみこと)の二柱で、
建御名方命は大国主命のお子様で、出雲から信濃ヘ渡られ諏訪を神居と定め、国土を開拓された神様です。

 桓武天皇の頃、坂上田村麿が陸奥の蝦夷征伐の途上、諏訪明神へ祈願をこめて奥州路へ下ったところ、
神助を得て蝦夷を平定出来たのに感謝し、桓武天皇に奉上して諏訪神社の社領を増加し、
信濃一国に社殿の修造を賦課し、七年目毎に改造させる制を定めた。

これが諏訪を初め当地方で行なわれている「御柱祭」の初めと言われている。

それに起源して寅(とら)と申(さる)の式年毎に諏訪では式年御柱祭が、
飯田では御興渡御(みこしとぎよ)の式年大祭が行なわれている。

大宮神社の御興渡御は、大神が信濃の国の統治と発展を心に掛けられ、しばしば巡見せられた遺徳を迎いで、
飯田の治平と繁栄の現況を神覧に供する意味からと言われている。

(まあまあ、むずかしい話しでございます。kuma3)


初詣客でに賑わう境内


初詣客でに賑わう境内

初詣客でに賑わう境内

新年を祝う花火師の点火の瞬間


【 7年に一度の<お練り祭り> 】

 この大宮諏訪神社の式年祭礼に合わせて行なわれているのが「お練り祭リ」で、
大勢の人が街に出てねり歩くことから、こう云う様になったらしい。

 途中五十余年の休止の時期もあったが、正徳五年のひつじ満水の折、
住民が大宮神社の神明様に加護を祈願したところ、幸に飯田の町は泥の海となる難をまぬがれた。

領民はその神徳をたたえ、翌正徳六年(1716)の申年に中断していた祭りを再興し盛大に
奉納するようになったと言われる。 

その出し物も年代により趣好がこらされた。

 度々の火災で道具の大部分を消失してしまったが、大名行列や東野の大獅子舞などが伝統を受け継いでいる。

〜 信州飯田お練り祭りホームページより転載〜

前回(平成10年)のお練り祭の模様は  ⇒ こちら


kuma3kuma3.com 専属フリー特派員  飯田市@akira



akira3、ふるさと情報ありがとうございます。

私も、田舎を出て幾年月。お練祭りは2才、8才、14才の時しか経験がありません。

本当に待ちどうしかったものです。あと3ヶ月余り、準備に大変なんでしょうね。
がんばってkuma3を招待してくださいませ。

kuma3


ついでに akira3がWebマスターしているこのサイトもご覧下さいませマセ。
とても素人と思えないすばらしいできばえです。

今後の特派員報告に大いに期待しませう。


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