【 金沢紀行記 】
H16.8.29

8月上旬、金沢に行く機会があった。何年ぶりの出張であった。その時のスナップ。

これで納得
JR浜松町駅 小便小僧
(触ると、異な物が出ますぞ)

アテネオリンピックも今日で最後。
ニッポンがんばりました。

 

兼六園

見慣れたいつもの構図



【 兼六園の由来 】

兼六園は、江戸時代の代表的な林泉回遊式庭園である。
金沢城に面した傾斜地に五代藩主綱紀(つなのり)が延宝4年(1676)、
別荘「蓮池御亭」(れんちおちん)を建て、その庭を蓮池庭(れんちてい)と呼んだ。
これが兼六園の始まりといわれている。

その後、十一代藩主治脩(はるなか)が翠滝(みどりだき),、夕顔亭を造った。
文政5年(1822)十二代藩主齋廣(なりなが)のとき、
千歳台に竹沢御殿が建てられた。曲水(きょくすい)、七福神山などは、その頃の遺構である。

十三代藩主な齋泰(なりやす)は竹沢御殿を取壊し、霞ケ池を拡張し、
螺蠑山(さざえやま)を築くなど御殿跡と蓮池亭との調和を図り、現在の大庭園を完成させた。


園名は文政5年、白河楽翁公(しらかわらくおうこう)により、

「宏大(こうだい)、幽邃(ゆうすい)、人力(じんりょく)、
蒼古(そうこ)、水泉(すいせん)、眺望(ちょうぼう)」

の六勝(りくしょう)を兼備することから、兼六園と命名された。

(入園券¥300の説明書きより)





kuma3苦手のTOKAGE


掃除のOBA3


金沢城






二の丸広場

菱櫓






五十間長屋
     
金沢城の主な石積み技法

 

尾山神社



御祭神は前田利家公(としいえこう)と正室松子命(まつこのみこと)



海の幸
あ〜〜おいしかった。海の幸。とても江戸では食べられない。。

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