【 宮本武蔵 】
H15.3.2

【武蔵の像のjpg】
【武蔵塚公園】


宮本武蔵はその晩年を熊本の城下に送りました。
当時の城主細川忠利に招聘されて熊本へ来た時は
島原の乱の3年後、武蔵は57歳でした。
今年はNHKのドラマやバガボンドで
ちょっとしたブームとなっています。


熊本には武蔵の墓所と称されるものが三ヶ所あります。

そのひとつ東の武蔵塚は今は武蔵塚公園という
歴史公園として整備されています。
【武蔵塚】
【独行道】


武蔵は「甲冑を着せよ」と遺言しました。
そのため遺骸は篭手や脛当てなどを着けて
柩に納められたといいます。


死の数日前に著したとされる「独行道」。
「我、事において後悔せず」や
「仏神は貴し(されど)仏神をたのまず」は
武道家というより哲学者ですよね。
【木剣】
【霊巌洞123】


霊巌洞がある雲巌禅寺(うんがんぜんじ)の
入り口に展示されていた剣。

「剣聖宮本武蔵が巌流島において
佐々木小次郎と対決で使用せし木剣」と
書いてあります。







武蔵が五輪書(ごりんのしょ)を書いた
霊巌洞(れいがんどう)は熊本城から12kmの
山の中にある古い霊場の大伽藍洞。

足場も悪くいかにも霊場の雰囲気です。
忠利公の死の失意から世間との交わりを絶って
書画、彫刻などに心を傾けながら
禅に没頭したと言われています。

武蔵は60歳からの2年で五輪書を著しました。

【霊巌洞2】
【霊巌洞3】
Yoshoさん、またまた珍しい写真をありがとうございました。相変わらずマジメですね。(下総の熊可゛ゐ)

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