【 59歳の別れ 】
H19.12.27 (H20.1.5掲載)

全国のkuma3ファミリーの皆さんお元気ですか?お久しぶりです。焼津からの報告です。

2007年も残りわずかになり、私めの人生59年間のフィナーレを飾ろうとしています。

そうなんです。来年は還暦。新たな人生の暦を用紙しなければ・・・

この59年という長い道のり、大きな怪我や病気も無く、紛争や災害にあうことも無く、

かけがえの無い伴侶や子供たちにも恵まれ実にありがたい人生を送らせていただきました。

今は亡き両親、ご先祖様、そして兄弟、親類、友達、

そして今まで出会った全ての方たちに感謝の気持ちでいっぱいです。勿論kuma3との出会いにも。

今年も一年いろんな出会いがありました。

その中から二つ。

ひとつは、恐れ多くもごく身近に「ひげの殿下」こと、
三笠宮殿下のお写真を撮らせていただいたこと。
11月1日より静岡市で開かれた「世界お茶まつり2007」の折、
『チャプリメント』でお馴染みの当社も出展しておりまして
、私たちのブースにもしばらくお立ち寄りになり、すぐ目の前でこのお写真を撮らせていただきました。石川・静岡県知事より、緑茶の新しい活用例として、『チャプリメント』などの当社の製品もご紹介いただき、殿下も興味深げにご覧になられていました。
三笠宮殿下についてもうひとつこんな出会いがありました。昨年上京の折、道路案内図を見ていて声をかけられたことがあり、偶然同じ会場に行かれる方で、それがご縁でお知り合いになった方があります。なんとその方は北海道のセラピストなのですが、三笠宮殿下のお体のケアもされていて、殿下とお会いしましたと伝 えると「私の友達です」と声かけてくれれば、きっと話しかけられたと思いますよ。「殿下はとても気さくな方ですから」っていわれました。その彼と又不思議なご縁があり、先日偶然再会しました。ふたりは全く違う用事で同じ日に上京したのでした。彼は今年初めて、私も二度目の上京でした。これは偶然ではなく、必然だねっと、この次の再開が楽しみになりました。

 

もうひとつ、


12月24日のこと、郷土の大作家の小川国夫先生が当店にご来店され、
リクライニングチェアをお求めいただきました。
なんと、85歳になられる当社の社長のお母さんが若かりし頃小川家に『奉公』にあがっていたことが
あったということがわかり、
なんと60年ぶりの再会をされました。

当時、小川先生は体調不良で、お母さ んが先生の体を拭いてあげていたとき、そのお手伝いもされていたようです。
小川先生のお顔にその当時の面影をしっかり思い出されたようです。

先生は80歳を越えても尚現役で、今でも原稿の締めに追われているとのこと。

実は、小川国夫先生は旧制志太中(現、藤枝東高) 出身で、私の大先輩です。
それで、私も東校で新聞書いていましたとお話しましたら、とても懐かしげな顔になられていました。

思いがけない郷土の大作家とのしばしの語らいが今年の大きな思い出になりました。

少し日本人離れした、すらっと伸びた鼻と深い目の窪み、その奥に見せる精悍な眼差し・・・とてもニヒルな感じの小川国夫先生と
最後に握手させていただいた時、その手の温かかったこと、 80歳にしてこの溢れ出るエネルギー。
自分が先生の年になるまであと20年。
20年後の自分も“ほとばしる、それでいて優しい エネルギー”を蓄えていようと、そんな誓いの夜でした。

それが59歳の12月24日、神様からのクリスマウイブの最高のプレゼントでした。

□小川国夫氏

藤枝市長楽寺(現、本町1−8−8)に生まれる。
志太中(現、藤枝東高)旧制静高を経て東大国文科に入学。
在学中、三年間フランスに留学。
単車で地中海沿岸の各地を旅した。
その体験をまとめた『アポロンの島』が島尾敏雄に激賞され
「内向の世代」の代表的作家と目されるに至る。
86年に『逸民』で川端康成賞、
94年『悲しみの港』で伊藤整文学賞を受賞。
現在も生まれた場所を離れず創作活動を続け、
雑誌「新潮」に発表された「若木さえ」は高く評価されている


60年ぶりの再会

先生が掛けられている椅子をお求めいただきました。

ほのぼの宮さん

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