【 日本平からの富士山 】
H18.1.16 (H18.2.26掲載)
みなさま、どうぞ時間を正月に戻してお読み下さい(kuma3より) |
全国のkuma3ファミリーの皆さん、新しい年をいかがお迎えですか!
雪国の皆さん大変ですね、お見舞い申し上げます。
こちら静岡地方は記録的な少雨(昨年12月の降雨量0)で富士山は例年になく雪が少ない新年の幕開けでした。
元旦、2日は曇りで3日に初めて青空に・・・日本平の富士山を見に行ってきました。
日本平山頂からの富士山 (H18.1.3)
新春の富士子さんは、やっぱし純白のウエーディングドレスが
似合いますね。今年はまるで、スケスケのランジェリー姿で風邪ひきそうです。
ウエーディングドレスと云えば・・・
突然「だ〜れが〜着る〜んだろ、あのウエーディングドレス・・・・・」って歌、思い出しました。
そうそう・・あの・・歌手が昔「夢であいましょう」って番組で唄ってた・・・・
え〜と、こんにちは赤ちゃんを唄ってた・・・ええと・・・今年あたりは“認知症劇場”の招待状をいただけるかも・・・
そうそう、思い出しました。「夢であいましょう」。 |
日本平には富士山の景色と、もうひとつ心に残るものがありました。それは、「赤い靴の女の子」の銅像です。
懐かしい童謡「赤い靴」の “異〜人さんに連れられていいちゃった〜” 女の子のモデルになった「きみちゃん」の
生まれ故郷が、実は日本平の麓の清水市(現・静岡市)だったのです。
そして、実は異人さんと一緒にアメリカへ渡るはずだったきみちゃんは、結核 に冒され横浜からの船に乗れずに、
教会の孤児院で一人寂しく9歳の生涯を閉じたのでした。
「赤い靴の女の子」の銅像
明治35年7月15日生まれのきみちゃんは、赤ちゃんのとき、いろいろな事情でお母さんに連れられて北海道の開拓農場に
入植することになります。当時の開拓地の想像を絶する厳しさから、やむなく3歳になったきみちゃんはアメリカ人宣教師夫妻の
養女に出されました。夫妻が任務を終え3人で帰国しようとした矢先発病し、長い船旅は無理ということで、
やむなく孤児院に引き取られ、そこで亡くなったのでした。
お母さんは、最後まできみちゃんがアメリカに渡り、養父母のもとで幸せに元気に暮らしていると信じて亡くなったそうです。
「赤い靴の女の子」の銅像は、生まれ故郷の日本平山頂、開拓農場のあった北海道留寿都村、亡くなった東京・麻布十番、
そして横浜の波止場・山下公園にあるそうです。
野口雨情の作詞により、子を思う母の愛の深さを、今日まで唄い継がれている名曲【 akaiku_s 赤い靴 (sound)】ですが、
豊かな時代に忘れてしまったものを思い起こしてくれます。昨今、母と子にまつわる事件の多さに胸が痛みます。
「亭主元気で留守が良い」「かあちゃんパートでボク鍵っ子」と云われたバブル時代に
育ったのが今のお母様方の世代。そしてその親の世代が我々団塊凸凹世代なのだか・・・・。
「赤い靴の女の子」の銅像は我々に何を訴えかけているのでしょうか!
日本平と久能山東照宮を結ぶケーブルと駿河湾
(ほのぼの宮さん)
なんという、心に沁みる言葉でしょう。宮さんも昨年愛する母上を亡くし、大変だったでしょう。kuma3の母は今年で13回忌を迎えました。生きていれば90歳を超えています。懐かしい良き時代を思い出します。 kuma3も、いづれ定年を迎えます。有意義な毎日を送りたいと思うこの頃です。 掲載が2ヶ月余り遅れてしまい申し訳ありませんでした。これに懲りず又連絡下さいませ。 kuma3 H18.2.26 |
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