【  焼津の千手観音菩薩  】
H15.11.17
全国のkuma3ファミリーの皆さん、はじめまして『焼津の半次です!』

このギャグの解る方はかなりの“なつかしのチャンバラ”好きの方ですね…。品川隆二さんももうお亡くなりになりました。

『フーテンの宮さんで〜す!』このギャグのわかる方はJINDAI詩吟研究部OBの方です。(小生、因みにkuma3の1年後輩なんです。)

大学卒業後『フーテンの寅さん』もどきの旅ぐらしをしていました。寅ちゃんと違うところはマドンナと結婚できたことかな?

渥美さんももうお亡くなりになりましたが…。

なんと、飯田市のkuma3の実家の隣のひなびた宿(そうそう、「安野旅館」でしたね。(kuma3補足)にも

かなりお世話になりました。 (ロング・ロング・アゴ〜ですね)

やっとデバガメを買いましたので、これから『駿河路の四季』をお伝えできたらと思います。 皆さんよろしく!

手始めに、最近一番感動した写真を送ります。

(honobono・miya)
なんと、当地焼津に観音様が降臨なされたのです。樹齢350年以上の木曾ヒノキ45本を使い、

構想10年にして出来上がった高さ4メートルの千手観音菩薩で、11月15日に開眼法要が行われました。
千手観音菩薩は複雑な姿から大作は少なく、歴史的にも貴重なものだそうです。

西暦2003年生まれの観音様が、これからの日本をどんなふうに見守ってくださるのか。

なんだか、平安や奈良時代の民になったような心境でした。

きっと、その時代の民も混沌とした世の中が早く平安な世になってほしくて仏像を作られたのでしょう。

平成の世になっても、人間って本質的に何も変わっていないのですね。

白装束の方が<大仏師>渡辺勢山さん

開眼法要の場に自分がいられたというこんな貴重な体験をさせていただいてご先祖様に感謝です。

仏師の方も個人的にお話させていただいたこともありましたが、ほんとに素晴らしい方でした。

更に、なんと、この千手観音菩薩様の体内に、私が書いた『般若心経』も納めさせていただいてあります。

9月に亡くなった母の良い供養にもなりました。

(因みに、焼津の全珠院と言うお寺で、東名焼津インターを下りて5分。

こころの迷いをお持ちの皆さんぜひお越しください。やさしく迎えてくれますよ。観音様ですから。)

写真の白装束の方が渡辺勢山さんです。

まあ、まあ、honobono・miya3 お久しぶりでございます。すばらしい観音さまとお付き合いされ結構なことです。

しか〜〜し、りっぱなもんですな。現代の名工が作り出したんですね。まばゆいばかりでございます。

そうですか。お母様お亡くなりになりましたか。ご愁傷さまです。すばらしいお母様だったよね。りっぱに育ててくれて・・・。

よ〜くお母様のことを言ってたよね、あなたは。よい供養になりました。ごくろうさま。

kuma3の母は11年前76歳の他界でした。おっと、母のこと思い出しました。  ウルル・・・



さ〜〜て、デバカメとやらを買った由、400万ガソらしいな。どんどん写して送ってくんろ。減るもんじゃないしネ。

『駿河路の四季』というか、「海・ウミ・うみ」もいいねえ。

kuma3


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