【 上野公園を作った人 】
H18.11.4

いつだったか、上野の森に<実際の人物の顔と違う弟の顔で胸像ができている>

大阪のお寺の住職が熱心に寄付を集めてついに正しくしたというニュースを聞いた。

熱心な人もいるもんだと。 10月8日江戸へ出たついでに、確認?してみた。

ボードワン博士

確かにひげは無くなっている

「弟」よ 今までありがとう

上野公園のボードワン博士

 ボードワン博士は、幕末から明治初期にかけて日本での西洋医学普及に尽力した。
当時、幕末の動乱で荒れ果てた上野の山を公園に整備するよう提唱。上野公園「生みの親」ともいわれる。

 この功績に基づき、公園開設百周年の1973年に都と区、オランダ大使館が協力して胸像を建設した。

 だが胸像の顔はあごに豊かなひげを蓄え、
「博士本人よりもむしろ、実弟のA・J・ボードワン氏に似ているのでは」との指摘が二十数年前からあった。

これが昔の誤ったひげ付きの胸像



東京新聞読者からも同様の疑問が寄せられ、昨年四月、「東京???(なぜなぜなぜ)」欄で紹介された。

 この記事に驚いたのが「法性寺」(大阪市)の山本信行住職。ボードワン博士が上京前の一時期、寄宿した寺で、
このころ大阪仮病院(現在の大阪大学医学部の前身)で蘭医学の講義や治療に当たった。

同寺には今も博士ゆかりの品々が残されているという。

 東京に住む檀家(だんか)の一人から記事の内容を聞き、すぐに上京して胸像の間違いを確認。
公園を管理する都など関係者を説得し、作り替えにこぎつけた。

 胸像の撤去と新しい胸像の制作は、山本さんの依頼で、富山県高岡市の会社が実施。
「実弟がモデル」とされた胸像は、同社で補修され、オランダ大使館に返却される。

(東京新聞より)


胃腸薬「太田胃散」の処方はボードウィン氏から教わったものなのだそうです。
<ちゃんと、ここに書いてあります>


<<Back