遺稿 |
【水泳が生涯の友に】 還暦を過ぎて日曜日の「朝ランと朝スイム」は私の健康作りとして定着してきた。近隣の水泳連盟の入会し,早朝のスイミング可能となった。泳法や技術の改善にも役に立っている。近郊の市民水泳大会に出場した。60才以上の部で「大会記録がない種目」にチャレンジすることか楽しみとなった。 昨年,私の人生に「最悪の大事件」が起きた。健康診断で「君の家はどこだ!今すぐ奥さんに電話しなさい!」と医者が驚きの顔で言い放った。近くの病院での出事だった。最大難治の【すい臓ガン】である。肝臓にも転移していた。最悪の進行ガンであった。翌日,妻と共に埼玉医科大学病院を訪れた。画像診断と精密検査を行ったが結果は同じだった。手術不可能で治療方法は化学療法しかない。「余命数ヶ月」と診断された。「あ〜あ,これで俺の人生は終わりか!」と頭の中が真白になった。 その後,セカンドオピニオンを聞きに「埼玉県立ガンセンター」を訪づれた。見解は同じだった。すい臓ガンには「1年生存率」と言葉はないと言うのである。統計上の生存確率極めて低いからである。 私の体には外面的な異変は何もない。11月末で職場を退職することにした。妻や子供たちのことを考えると不安と恐怖で眠れなかった。 年の瀬に水泳同好会で「忘年会」を開いてくれた。懐かしい飲み屋で「水泳談義」をした。2次会のカラオケにも行った。時の経つのも忘れ盛りあがった。 お歳暮変わりに実家の長兄のところと妻の実家にも報告に行った。 正月は家族全員集まったが重苦しい空気だった。ガンとの「つき合い」が始まった。いろいろな医学書やインターネットでガン治療の記事を読みあさった。本当に参考となる明るい兆しの記事は何もなかった。 12月中旬から始めた化学療法が効果が現れてきた。いまは順調に普通の生活をしている。1月末には「兄弟顔見せ会」を開いた。久しぶりに兄弟皆と会えてうれしかった。 その後,「水陸同好会」の新年会も開いてくれた。公営プールで久々のスイミングを楽しんだ。昼食をしながら四方山話に花を咲かせた。「人が病に陥ったときに励ましてくれる人がいる」ということは本当に有り難いことだ。胸が熱くなり心の中に涙があふれた。 熊さん「病は気からだよ!」「生きて生きて生きぬくんだよ〜」「楽しいことに没頭しNK細胞を増やして!」など有り難い言葉ばかりだった。リタイヤした後でも人との付き合いがこんなに大切だ思ったことはない。今これを肌身で感じている。 ガンの延命治療には各種の方法がある。私は多くの人と喜びや悲しみを共存しながら普通に生きて行く。人は楽しいことや何かに真剣に打ち込んでいるときにはNK細胞(ガン殺し屋細胞)が増えると言う。スポーツを楽しみながら自然治癒力を増して延命したいと考えている。NHKのガンの番組である教授が言った言葉が記憶に深い。私も「おぼれる者は藁をもつかむ」ではなく,大海原をイルカのようにゆっくりと泳いでいきたいと思う。大好きな「遠泳バタフライ」でガンと共に生きぬいてゆく。薬などを余り使わず「スポーツで治癒力を増強し」延命が達成できたら出来たら本当にすばらしいと思う。 完 |
この原稿は、朝日新聞に投稿したらしいが、採用されたかどうか不明である。
ガンと正面から向き合っていた姿が伝わってくる。同じ局面に遭遇したら、
私は、このように冷静に対処できるだろうか。 kuma3
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