この面白コラムは、南信州新聞に11/13、11/14連載されたものです。 |
(赤字は、新聞掲載写真)
世の中に、おいしい饅頭はいっぱいある。
私の父母は饅頭が大好きだった。その影響を受けたか私も好きだ。故郷の南信州に元善光寺と言う寺がある。
祖父母が近くに住んでいた。毎年、お彼岸やお盆には参拝客で賑わっていた。
子供の頃、父母によく連れて行ってもらったものだ。帰りの楽しみは饅頭だった。
こげ茶色の薄皮饅頭で、あんこが一杯入っていた。このお寺の名物にもなっていた。
私は子供の頃から饅頭に親しんできたようだ。
(上記の写真はkuma3が先日11月2日に撮影)
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私たちは、生涯にいろいろな饅頭を食べるであろう。
君は「糞入り饅頭を食べたことがあるか!」と妙なことを聞く。
「まんじゅう」の語源は、中国の満州かモンゴルではないかと思う。
モンゴル語で「マントー」と発音する。
ODA(政府途上国援助)の仕事で厳冬のモンゴルを訪れたことがある。

寒風のモンゴル平原に立つ
東部の県庁「チョイバルサン」から首都「ウランバートル」に戻る時のことである。
飛行機が満員で陸路で帰る羽目になってしまった。
約650kmの距離がある。モンゴルの氷雪原をレンタカー(運転手付)で帰ることは、『不安』の何ものでなかった。
この冬、草原はマイナス20度以下である。
途中で立ち往生したら、凍え死ぬしかないのか!
氷雪原の運転は「悪路ラリー」をやっているようなものだった。
予想どうり氷雪の悪路にはまったり、車軸が傾いたりして、途中で何回も立ち往生した。
運転手は慣れていて何度も修理した。
初日、途中の町までは何とか、たどり着いた。
この町で宿泊することにした。
暖房が小さく、寒くて寝られなかった。
この地に住む人々は、昔からこの厳しい自然のなかを
、普通に暮らしてきたのだ。
2日目、ウランバートルに近くなった。ドライブインで昼食を取ることにした。 |
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ドライブイン
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子供の衣服
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ドライブインといってもゲルハウス(モンゴル式のテントハウス)が数件あるだけだ。
通訳が下見して適切なドライブインを選んできた。内部はテーブルがあり、食堂らしくなっていた。
モンゴルの食事はほとんど同じメニューだ。「肉ジャガのスープ」と「マントー」を注文した。
ドライブインの奥さんは、昼間から酔っ払っている『ぐうたら亭主』を尻目に私たち客の応対にいそがしい。
手馴れた動作で昼食を作りはじめた。

肉じゃがスープを作る
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このゲルの中央にストーブが2台あった。調理用のためである。
暖房も料理もすべてこれで用が足りる。目の前で料理の過程が解るのが面白い。
燃料はなんと「牛糞」である。
このあたりには雑木や樹木はほとんどない。一面と広がる草原の大地でだけである。
夏に家畜の糞を集めて屋外に貯蔵してあった。 |
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牛糞燃料 |
冬の暖房用の燃料となる。奥さんは、肉じゃがスープを料理し始めた。肉がいっぱい入っている。
「肉じゃがスープ」の次は「マントー」である。
「マントー」の生地はパン(中華まんじゅう)によく似ている。スープが出来上がる頃、ストーブの火力が弱くなってきた。
私たちは、燃料箱にある牛糞をじっと見つめていた。適度に乾燥しているが臭いはほとんどなかった。
奥さんは小さいスコップで「牛糞燃料」を数回入れた。最後に箱の底にある「牛糞粉」を素手ですくってストーブに放り込んだ。
いつもと変らぬしぐさなのだろう。奥さんは,その手で「マントー」の生地をつかみ、手際よくこねあげた。
牛糞の粉が程よくちりばめられていた。私たち一行5人分の「牛糞まんじゅう」をいっぱい作りあげた。
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牛糞燃料を入れる |

牛糞まんじゅう |
突然、T氏がげらげら笑い始めた。私もつられて「げらげら」と笑った。
「奥さん、いかげんにしてよー!」「手を洗ってくれよー」と一致していたのだ。
牛糞は満遍なく生地にねり込まれて、蒸し器に入った。
しかし、ここはモンゴル!『郷に入ったら郷に従え』大草原の豊かな草を牛が食べ、燃料となり、
饅頭にまぶし人間が食べるのだ。
天然資源の立派なリサイクルではないか。
雑談をしている内、数分後には、モンゴル名物「牛糞まんじゅう」が出来上がった。
形も立派なもので何かに似ている。
牛肉がいっぱい入った「肉じゃが」スープをすすりながら「マントー」をぱくついた。
みんな「おいしい!おいしい!」と言って食べた。
人間と牛と係わりがこんなに深いものかと思った。厳冬のモンゴルでの貴重なる体験であった。
(2002年、冬)
040913 以上 |
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犬と戯れる少女 |

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