
あったあった、郷土の力士が。
元関脇 「【高登弘光】(S2〜S14)
〜長野県下伊那郡出身〜
果物商の長男で、竜東農蚕学校を卒業して養家の家業である蚕種製造を手伝いながら家で働いていた相撲好きの少年から相撲を教わって相撲が好きになった。大正15年の秋に飯田城下で行われた自転車競技大会に出場したが、177cm
75kgの体格で自転車のペダルが途中で折れてしまいながらも肩に担ぎ上げて決勝点に走り込んで優勝したのが評判に上り、飯田市で巡業に来ていて聞き附けた高砂に勧誘されて入門した。
体格を生かした右四つの鋭い寄りと強烈な左上手投げを主とする正攻法の取り口は早くから「信州雷電の再来」と将来を期待されたが、大関を目前にしながら胃潰瘍に罹って入院し、昭和10年
5月 6日目に右膝関節を捻挫した後は右足を庇う消極的な取り口が続いて大成できなかった。
独特の口調で相撲放送の解説者を務め、人気が有った。
〜大相撲記録の玉手箱より〜